異色の経歴からの挑戦でもあふれる誇りと自信
福島県内中から愛されるウルトラ・ベーカリー!
Bakery Pun 伊藤貴一さん
福島県の創業者界隈では、超有名人である伊藤貴一さん。もともと警視庁にお勤めだったのですが、震災時には「ウルトラ警察隊(※)」の一員として活動していたのです。そんな伊藤さんは現在、西郷村でパンを焼くようになりました。経営中のお店は、伊藤さんのパンを求めて福島県内各地から人が集まるほど大人気となっています。
もしあなたが仕事や勤務環境にうまく馴染めず、休みの日の夕方になると「明日、仕事に行くのが嫌だ」と憂鬱になってしまうなら、伊藤さんのような生き方もあることを知ってほしいと思います。
公務員を辞めて人気店を営むようになるには、どんな秘訣があるのでしょうか。「創業したいけど怖い」と考えて躊躇しているあなたのため、事業立ち上げの経緯や思いを根掘り葉掘り取材してきました。
(※)ウルトラ警察隊:福島県警に加え、全国の警察から出向した警察官で組織される警ら隊です。帰宅困難区域での行方不明者の捜索、福島県内でのパトロールなど、県内の復興や治安維持を行う目的で結成されました。
Q:まずは伊藤さんのプロフィールを教えてください。
生まれたのは母の実家がある新潟県長岡市ですが、育ったのは埼玉県草加市です。高校生のときに越谷市に引っ越し、警視庁時代までずっと実家から通っていました。
小さいころは泣き虫だったみたいです。姉と弟がいて兄弟の真ん中だったこと、最初の男の子だったこともあり、両親にも姉にも過保護にされ過ぎていたのかもしれません。
子どものころは圧倒的に明るい性格でした。カブトムシを捕まえたり、サッカーに明け暮れたりするなど、当時の元気な男の子のサンプルみたいなイメージです。中学生のときには学級委員も務めていました。
大学に入ってからはラクロスに熱中し、体育会で本格的に活動していましたね。副キャプテンも務めていたラクロス部は、関東でもかなり強いチームでした。私の学生時代と言えば、ラクロス一色です。
Q:そこから警視庁に入られたのですか?
はい。東京で7年間勤務しました。体育会出身なので体力には自信があったのですが、警察学校で過ごした日々は体力的にも精神的にもきつかったです。しかし警察学校はまだ序の口でした。その事実を後になって思い知ることになるのです。
その後は震災にともない、福島県へ特別出向することになります。マスコミで報じられた、ウルトラ警察隊への参加です。浜通りの被災地に赴くイメージが強いかもしれませんが、実際の勤務先は福島市でした。業務内容は被災地まで行って取り組む支援活動と、地元の福島市内での対応が半々くらいです。酒場の酔っぱらい対応などに駆り出されることもありましたよ。
2年間の勤務を終えた後は、東京に戻りました。勤務地は上野でしたが、住まいがある越ヶ谷からの通勤電車が異様に混んでいたのです。2年間そういう生活から離れていたので、ショックを感じましたね。そういった流れで「福島県での生活は自分にとってかけがえのないものだったのだ」と思うようになりました。

Q:そこから福島県への移住作戦を考え始めたということでしょうか?
そうですね。「福島県に住みたい」という思いが強くなり、自分の中で気持ちが切り替わっていきました。
福島県内で住まいを探していたところ、ちょうどこの家が売りに出ていたのです。そこでまず家を買い、次は仕事を探そうと考えました。新居の近所で探すとなると「公務員かな」と思い、とある役所の社会人経験枠を受験したのです。幸いにも採用いただいたので、公務員になりました。
当時はDIYに興味を持っていたので、この家も自分でリフォームしたのです。きっかけは当時付き合っていた彼女…現在の妻に、自分で作ったコースターをプレゼントしたことでしょうか。それから棚などを自作することに目覚め、最後は家まで自分で手を入れることになりました。

Q:移住してから順調に思えますが、公務員はそう簡単になれるものなのでしょうか?
傍目から見れば、家も仕事も結婚相手も手に入って順風満帆のように見えるかもしれません。しかし私的には、どうもしっくりこない感じでした。
仕事に行くのがだんだん嫌になってきたのです。日曜の18時を過ぎると気が滅入ってくるという「サザエさん症候群」ですね。
妻からも「あのころは精神的にかなり辛そうだった」と言われたほどなので、自分が思っていたよりも追い込まれていたのだと思います。

Q:しかし、そこから警察官〜市職員〜パン職人という流れには、なかなか行かない気もします。
そうかもしれません。でも私の中では一生懸命考えた結果なのです。
自分で家をリフォームしたこともあり、大工として働くことにも憧れました。いわゆる「手に職を付ける」ことで成り立つ仕事に就きたかったのです。どこかの組織に所属していても「自分の腕で別な組織に移ることもできる〈職人〉になりたい」と思いました。
しかし当時は35歳。ここから生き方を変えるのは簡単じゃありません。選択を間違えれば、人生からドロップアウトしてしまう可能性もあります。そうやって真剣に考えた中で、パン職人になることを選んだのです。
Q:パン職人を選んだ心の内について教えてください。
もともとパンが大好きだったので、行ける範囲のパン屋さんはほとんど回っていたのです。ただそれは、単に食べることが好きだったというだけです。実際にパンを焼いたことは、一度としてありませんでした。
パン職人の修行は、10年くらい掛けて3店舗ほど回るのが一般的なようです。複数の店舗で修行すれば作れるパンの種類も増やせます。こういった点も大きなメリットなのでしょう。
しかし私にはそんな時間もないため、修行先を1カ所に絞り込みました。「これをマスターすればやっていける」という店舗を選び、修行をお願いしたのです。
ここで私は、本当の意味での「底」に出合います。体育会や警察学校を経験していたので「体力は大丈夫」と思っていたのですが、その私が音を上げるほど修業は大変だったのです。
たとえば3,000個のパンを10時間で焼く仕事なら、普通にこなせると思います。しかし「それを3時間でやれ」と言われると、もう3時間全力疾走している感じになるのです。100m走の勢いでフルマラソンを走る感じ…と言えば伝わるでしょうか。あまりにも苦しい日々に、最初の1年間はずっと「辞めたい」と考えていました。

Q:そんな辛い修行を耐えられた秘訣は何なのでしょうか?
諦めなかったことだと思います。それに1年も経つと、環境も変わってくるのです。あまりのハードワークに何人も辞めてしまったため、私が教える立場に回りました。相変わらず体はきつかったのですが、精神的には少し余裕も出てくるようになったのです。最終的には3年で修業を終え、無事独立することができました。
Q:起業する前に「やっておけばよかったかな?」と思うことはありますか?
起業すると「インプットの時間」が激減してしまいます。パンで言えば、全国の「ここは!」というパン屋さんを全部回っておけばよかったと思います。
Q:最後に、これから起業する方へひと言お願いします。
準備する物として、お金は絶対に大事だと思います。周到に計画を立てて準備し、資金繰りで無理をしないように貯めていくことも大切でしょう。
特にパン屋の場合、どこかの店舗に勤めて支払われる給与はそれほど高くありません。だからこそ目標を定め、強い意志で積み立てる必要があると思います。
Bakery Pun(ベーカリー プン)
住所:福島県西白河郡西郷村小田倉上野原358-1
営業時間:11:00~16:00
営業日:水曜日・土曜日(定休日ではありません)
- Instagram: https://www.instagram.com/bakery_pun/?hl=ja

取材者の声
- 初めてお会いしたのは3年前。とある補助金の審査会場でした。そのときから「どんなパン屋さんになったのか?」と取材するのを心待ちにしていたのです。
営業日が週2日なのは「本気でパン作りに取り組めば、営業できる日数はその程度だから」なのだそうです。週末は奥様も手伝われるそうですが、何から何まで基本的に全部1人でやっているとのこと。その背景には「固定費をできるだけ抑えて安定した経営に努めたい」という伊藤さんの強い意志がありました。
だからこそ、にぎやかな場所に出店しなかったのだとか。お店に向かうには「Googleマップなら迷わず行けますが、車のナビだとちょっと辛いかな?」と伊藤さんは話します。それでも県内各地からお客様が訪れ、早い時間帯には売り切れになる状況なのです。
「お店への誘導看板などは出さないのですか?」と尋ねると「むしろお店探しを楽しみながら来てほしいのです」と笑う伊藤さん。その笑顔には、パン職人としての誇りと自信があふれていました。
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