人との縁で繋がる挑戦!
株式会社hinataba 菊地直樹さん

 東日本大震災からの復興が続く、福島県の浜通り地域。そこでカスミソウ栽培をはじめとする農園を、ゼロからスタートさせた若い夫婦がいるという話を聞きました。しかも2人とも前職は銀行にお勤めだったのだとか。
 「面白そうな人センサー」が反応したので、南相馬市小高区にある「株式会社hinataba(ヒナタバ)」を訪ね、ご夫妻のお話をうかがいました。

Q:まずは菊地さんのプロフィールを教えてください。

 1993年、福島市で生まれました。中学生までは福島県におり、静岡県の高校に進学しました。
 小学生でサッカーを始め、中学生のときにクラブチームのセレクションを受けてサッカー留学を経験。そこでは完全寮生活ということもあり、サッカーにどっぷり浸かっていました。
 高校卒業後は東京農業大学に進んでサッカー部に入り、サッカーに明け暮れる毎日でした。小さいころからプロを目指していたのですが、やっているうちに自分の限界みたいなものも分かってきます。周囲にはプロになった人も当然いたので、自分がどの程度できるのかが感覚的に分かってくるんです。それで「大学卒業したらどうしようか?」と考えるようになりました。

Q:スポーツに真剣に取り組んだ人ほど、将来に悩みますよね?

 自分は中学時代まで福島県のクラブチームに所属していました。当時そのチームのメインスポンサーが東邦銀行でした。つないでいただいた方などとのご縁もあって、東邦銀行に入行し、郡山市の支店に勤務していました。
 ただ銀行員の日々も楽しかったのですが、何となく自分がこれからも銀行で長く働いているイメージが湧かなかったんです。
 そんなときに、農家を支援する活動にボランティアで関わりました。それで週末になると、会津地域に通って野菜作りを手伝ったんです。これが農業に興味を持ったきっかけですね。

菊地さんが育てている自慢の花
Q:ボランティアで農業に興味を持ったとのことですが、東京農業大学出身ですよね?

 確かにそうですね。しかし私の場合は「東京農業大学のサッカー学部」みたいなもの。いまさらですが、もう少しちゃんと勉強しておけばよかったと思います。
 もともと興味を持ったらやってみたくなる性格なので、次に奥会津の昭和村でやっていた「かすみの学校」という就農希望者向けインターンシップ事業に参加しました。そこで実際に体験してみたことで「本格的にやってみたい」と思うようになりました。
 そういった流れで、銀行を辞め、昭和村でカスミソウ栽培を始めました。

奥様と二人三脚での起業
Q:なぜ昭和村だったんでしょうか?

 妻とは郡山市の支店勤務時代に知り合い、妻の祖母が昭和村の方で、以前カスミソウ栽培も経験していたようなんです。
 今もそうですが、昭和村はカスミソウ栽培とともに、新規で移住する就農者を募集してました。私の場合も地域の方のお世話になりながら、必死になって栽培を勉強。最初の2年はとにかく休みなく仕事をしていました。
 その後、そこそこ実績も出せるようになった半面、昭和村の気候という制約にぶつかりました。
 雪深い地域なので、年間で実質半分ほどしかカスミソウの栽培ができないんです。そこで「どこか年間通して栽培できるところがないか」と思って調べていると、小高区の情報が出てきたので紹介していただきました。

 最初に紹介していただいたのはもっと海の近くで、国道6号の海側の土地でした。2019年の秋のことです。
 当初は郡山市から通いながらのスタート。最初の土地には塩害の影響があり、結果的にうまくいきませんでした。津波は被っていないと言われていたのですが、何かしら影響があったのだと思います。
 その後、この場所を紹介していただき、今にいたっています。

hinatabaの農園で採れた草花を束ねてブーケに
Q:昭和村と小高区で、ビジネス的に異なる点はどういったところでしょうか?

 昭和村では、比較的出口が安定しています。カスミソウは品質さえ間違いなければJAが全量販売してくれるのです。しかし小高区でのスタートはゼロからでした。当たり前ですが、自分で最初から販売先を作らなければなりません。花き市場に営業したり、仲卸や花屋に直接行って開拓したりしていました。
 栽培に関する技術なども、小高区では手探り状態。どの時期に何をすればいいのか、ひとつずつ確認しながら進めていました。
 現在では60品目ほど栽培していますが、いろいろと試しながら今にいたっています。

笑顔の菊地さん
Q:新規就農がうまくいっているようですが、苦労もされていますよね?

 そうですね。でも人生の節目節目で、不思議と人とのめぐり会いに助けられている気がします。サッカーを大学生まで続けられたこともそうですし、カスミソウ栽培を始められたのも妻に出会えたお陰です。小高区でもいろんな出会いに支えられて、いままで続けることができました。とにかく周囲の人々に恵まれていたのだと思います。
 2019年の秋にこちらに引っ越し、2020年から栽培を始め、何となく感触をつかめたのが翌2021年。「何とかいけるんじゃないか?」と思えるようになったのが2022年という感じです。

Q:この時期に起業された方には新型コロナウイルスの影響もあったと思いますが、いかがでしょうか?

 小高区では市場出荷をメインに考えていたのですが、東京都内はロックダウンとなり、花屋自体が開店していない状況になってしまいました。
 それでも花は咲いてくるので「違うルートを作ろう」ということになり、EC販売を始めたり、体験型農園にして花を摘みに来ていただいたり、いろんなイベントに出店していたんです。
 店舗は震災前、大根農家の方が直売所にしていた場所です。当時は「日向ぼっこ」という名前だったようで、そこから一部いただいて「hinataba」と名付けました。販売のほかドライフラワーなども製作できるように、DIYできれいにしました。
 当時はつらいこともありましたが、今考えるといい学びの機会でもありました。あの時期がなければ、お付き合いさせていただいているお客様との出会いもなかったでしょう。卸売販売に頼ってしまい、直接販売する道もひらけなかったかもしれません。

Q:起業する前に「やっておけばよかった」と思うようなことはありますか?

 自分の場合は、特にないかもしれません。経営しているとやらなければいけないことはたくさん出てきますが、前もって準備しておくのはなかなか難しく、やりながら改善しているといった状態です。

Q:今後については、どういった展開を考えているのでしょうか?

 今の事業を継続しながら、今後は海外への展開にも目を向けていきたいと思います。私も妻も、もともとそういう事業に興味があり、花だけではなく海外に接点を持ち、商社的な機能を持った事業も考えていきたいと思います。

Q:最後にこれから起業する人に向けて、ひと言お願いします。

 自分がやりたいことは「小さくてもいいから取りあえずやってみる」ということが大切でしょう。私の場合は「やってみないと分からないことの方が多いな」とつくづく感じています。

株式会社hinataba(ヒナタバ)

住所:福島県南相馬市小高区南鳩原台畑128

取材者の声

  •  優れた起業家には共通点があり、必ず「変化を機会(チャンス)」としてとらえています。
     新型コロナ感染症のような厄災でさえも、とらえ方次第で「このようにプラスに変えられるのだ」と感じました。
     お話の中には「人生の節目節目で、不思議に人とのめぐり会いに助けられている」という言葉も出てきています。菊地さんにお会いになった方は分かると思いますが、この方は出会った相手が応援したくなるような人徳をお持ちになっていると同時に、起業家として得がたい資質があるかのようです。
     奥様とお子様という最高の助っ人にも恵まれ、今後の展開も楽しみな起業家でした。

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