少年の夢を乗せて、シルバーベンチャーが羽ばたく
合同会社ウェブライト 中元裕一さん

 新たにビジネスを立ち上げるのは若い方が多く、起業相談でも全体の6~7割は40代くらいまでの方が多いイメージです。しかし最近は「人生100年時代の申し子」などと言われるように、いわゆる定年近くになってから「人生をより楽しもう」と起業する方も増えてきています。
 今回は、ITシステム開発で起業し、「欲張り人生」を謳歌する中元さんにお話をうかがいました。

Q:まずは中元さんのプロフィールを教えてください。

 1969年に千葉県で生まれました。幼稚園の途中で、母の実家がある相馬市に移住しました。相馬市はいまでこそ高速道路も通り、仙台市まであっという間に行けるイメージですが、引っ越してきた当時は別名「福島のチベット」と言われるほどでした。また、テレビも宮城県の放送の方がよく映っていました。
 地域の言葉と違った標準語を話していたことと、インドア派の静かな子どもだったこともあり、当時は友だちから「どこのお坊ちゃんが転校してきたのか!?」と思われていたようです。当時の「転校生あるある」ですね。
 趣味はプラモデル作りと映画鑑賞。プラモデルはミリタリー物が好きだったので、戦車やジオラマなどを作っていました。小学校の高学年くらいからは、ガンダムのプラモデルが大流行。プラモデル作りが好きだった私は組み立てた物をほしがる人に売り、そのお金でまたガンプラを買って作るという無限ループを繰り返していました。
 当時、「ET」「未知との遭遇」などの特撮映画が流行していて、将来は特撮技師になりたいと思っていました。それが「将来何をしたいか」について考えた、最初の経験だったと思います。

無人チェックインシステムで宿泊施設の負担を軽減
Q:さらっとお話をうかがいましたが、おとなしい子どもといったイメージですね。

 中学や高校ではアルバイトもやっていました。新聞配達も経験しましたが、面白かったのは魚屋での配達です。あのころは周囲のみんなもバイトをしていた気がします。何となく「小さいころから自立して自分で稼ぐのが自然」という雰囲気がありましたね。
 体を動かすことも好きだったので、サッカーにも取り組んでいました。しかし時代のせいなのか学校がやたら荒れていて、テレビで言えば「金八先生」のようなイメージです。中学校の卒業式には警察が出動していました。

飲食店向けのテーブルオーダーシステム
Q:それでも、憧れの仕事に就職できたんですよね?

 そうなんです。夢にまで見た映画業界。と言っても、映画撮影用カメラのレンタル会社です。芸能人の方もよくいらっしゃっていたんですよ。
 その点はよかったんですが、当時は「ブラック企業」という言葉もない時代。働いていたところは「これがブラック企業のサンプル」と言えてしまうような環境でした。そんな中で「このままじゃ自分が潰れてしまう」と感じ、転職を決意しました。
 移った先は業界大手のオリエンタルモーターでした。この企業が「相馬市に新工場を作る」という情報を耳にし、実家に戻りたかったこともあって入社することにしました。
 しかし、新工場の完成はまだ先だったので、完成するまでの5~6年間は、山梨県の工場で働いていました。新工場が完成すると、20代半ばで製造機器を含めた全社的なシステム管理部署に配属され、それが天職になったんです。

Q:立ち上げられた会社の、技術面での原点といったところでしょうか?

 当時はプログラミングなんて、触ったこともなかったですからね。働きながら勉強していた感じです。技術の進歩もやたらと速い時代でした。あのころは平気で夜の10時11時ごろまで働いていましたね。
 仕事が面白かったですし、やり甲斐もありました。自分が会社を回しているように感じていたんです。

実際に店内に設置されている端末
Q:普通に考えれば、そんなにいい会社なら定年まで働きたくなると思うんですが。

 まあ、そうですよね。当時は管理職も任され、給与も上がっていました。
 「何が転機だったのか?」と聞かれれば、49歳のときに「50歳からの定年準備」という本を読んだことですかね。現実では50歳で当時住んでいた家のローンが終わり、子どもが大学進学で親元を巣立ったこともあって妻と2人暮らしになっていました。
 それまでは家族、子ども、会社のために一生懸命働いてきたのですが、環境の変化で「一度の人生、これでいいのか?」と考えるようになったんです。それが独立や起業を考えるきっかけになったのだと思います。

店内の状況にも臨機応変に対応
Q:会社を退職して独立しただけでなく、自宅も引っ越されたんですよね?

 順番としては転居が先でした。相馬市はいいところなのですが、やはり生活していくためのインフラが弱いと感じていたんです。老後のことを考えた場合、歳を重ねてからではなく「若くて動きやすいうちに引っ越そう」と考えたんですね。しかし会社に通える範囲内でそれなりの場所と言えば、仙台市か福島市しか考えられませんでした。
 そういった流れで先に福島市のマンションを購入し、福島市民になりました。しばらくは相馬市の会社まで通勤していました。
 その後の独立は既定路線だったので、商工会議所で開催していたセミナーを受講して自宅で事業をスタートしました。ただ自宅で働いていると、どうしても仕事とプライベートのメリハリがつかないんですよね。
 そこで商工会議所に相談させていただいたところ「福島駅西口インキュベートルームがあるよ」と教えていただき、入居することに決めました。

Q:その決断に奥様は反対されなかったんですか?

 びっくりしてましたが、妻は最終的に私のやりたいようにさせてくれるんです。妻と結婚していなければ、私は起業できなかったと思います。

Q:現在の主力商品はどういった物でしょうか?

 パソコンやインターネットを使ったシステム関係なら、何でも対応しています。ホームページの制作から会社や店舗で使う業務システム、会社の基幹システムまで、お客様の要望に合わせて使いやすいシステムを提案してきました。
 最近では宿泊施設向けの「無人チェックインシステム」や飲食店向けの「テーブルオーダーシステム」など、ITを使って省力化や効率化を図りながら、お客様の売上をアップさせるようなシステムが好評です。
 最近ではハードウェアも販売できるようになりました。より手広いワンストップサービスが可能になり、お客様にも喜ばれています。

Q:起業する前に「やっておけばよかった」と思うようなことはありますか?

 ゴルフですね。起業後はどうしても、経営者の方とのお付き合いが多くなります。特にゴルフは半日から丸1日一緒に過ごしてプレーするスポーツです。お付き合いを深めて相手の人となりを知るには最適なんですが、いかんせん勉強してこなかったので難しく感じてしまうんです。それだけに「少しでもやっておけばよかった」と思います。

Q:最後にこれから起業する人に向けてひと言、アドバイスをお願いします。

 迷っているなら突き進め!間違ったと思ったらすぐ戻れ!やり直しは何度でもできる!

合同会社ウェブライト

住所:福島県福島市三河南町1-20 コラッセふくしま6F 福島駅西口インキュベートルーム
TEL:024-572-4404

取材者の声

  •  最初に西口インキュベートルームに来られたときの中元さんは、どこか自信なさげな様子。技術のことは詳しいけれど「果たして起業して軌道に乗せることができるのか?」については正直不安に思っていました。
     それが契約を獲得したことで一変。お客様である企業経営者の懐に入って信頼を得ながら事業を進めて行くにつれ、経営者の顔つきに変わっていったんです。
     世の中の社長さん方は「DXだ!AIだ!」と言われても「何だかよく分らないものを導入するのは不安だ」と感じる傾向が強いのではないでしょうか。特にIT分野について悩んでいる経営者は多いように見受けられます。
     そういった状況で、同年代の中元さんがさらっとコーディネートしてくれるならかなり心強いはず。これは中元さんにしかできない、かなりアドバンテージの高いビジネスモデルではないかと思います。
     いわゆる「シルバーベンチャー」とは、これまで培った技術、知識、ネットワークをベースに創っていくビジネスです。大切なのは、何よりも起業者自身が経営者になる必要があるということ。そういった意味で、日々「社長の顔」に変わっていく中元さんの姿に頼もしさが感じられました。

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