ビジネス戦士 故郷に帰る
「らーめん 蓮の里」 店主 高澤陽一郎さん

 生まれ故郷である「矢祭町」に世界を股に掛けた歴戦の勇士が帰ってきた。
 この話は一人のビジネス戦士の戦いと再生の物語です。

Q:まずは高澤さんのプロフィールを教えてください。

 1973年生まれ。生まれたのは矢祭町の隣にある茨城県大子町です。ただ物心がついた頃には矢祭町に住んでました。実家は飲食業を営んでおり、一言で表せば「町の食堂」です。うどん・そばがメインですがらーめんも定食もやっているお店でした。
 そもそも子供のころからこの仕事しようと思っていたわけでもなく、地元の高校(白河高校)を卒業したあとは仙台の専門学校に進学しました。地元を離れたいという気持ちが強くありましたね。
 いざ仙台に引越しをしたものの、生活していかないといけないので、バイトをしようと思い近くにあった大手の宅配ピザの店で働いていました。当時は宅配ピザの伸び盛りの頃で、「30分以内に配達できないと無料」とか今考えればかなり過激なキャンペーンをやってました。そこの店の社長も、脱サラしてフランチャイズで始めた人でした。思えばそれが社長との出会いでしたね。

おしゃれな店内
Q:らーめんではなかったのですね?

 そうですね。平成の初めくらいの頃の宅配ピザの勢いは凄かったです。ただ、私は専門学校を出たあとに大手のドーナッツチェーン店に就職しました。就職してから将来について少し悩みましたね。その時にピザ屋の社長から「お前は俺と一緒にやると思っていた」と声を掛けられました。そう言われてピザ屋に戻ることにしました。今度は社員で店長なのですが、そうこうしている間に4~5年経過し、さすがの宅配ピザも下火になってきたんです。
 社長が普通と違うところは「もうピザはダメだ。じゃあ次は何だ?」とばかりに一人で日本中を回る旅に出る行動力があるところです。
 そこで出会ったのが旭川にある「山頭火」というらーめん屋。そこで「やらせてくれ」と頼み込んだんですね。無論、断られました。でもまた頼む。それの繰り返しでした。とうとう根負けしたのか修行を受け入れてもらい、仙台に暖簾分けしてもらえることになり、さらに全国へフランチャイズ展開するということになりました。

お店で手作りしている自慢のチャーシュー
Q:いよいよらーめんになりますね。

 切実にらーめんをやりたいわけじゃなかったのかもしれませんが、そうなるともう自分がやるしかないんですよ。また、子供の頃から父親の働いているうしろ姿を見て育ち、父親の作るらーめんが美味しくて大好きで憧れがあったので、自分がらーめん屋に携わることになったのは不思議な感覚でした。
 20代の後半から30代はずっと新店舗の開発~立上~軌道にのったらまた次の店舗の開発~立上をやってました。
 それで今度は海外なんです。ハワイに行ってカリフォルニア、シカゴ・・・これも全部やりました。そうなるともう私生活など無くなるんです。
 その頃結婚しまして妻ができて子供ができる。でも自分は企業戦士で、家のことは何もできないし、子供に会う時間も無いくらいでした。
 会社の組織も大きくなってきたし、そうなるといわゆる「ツキアイ」というのも出てきて、休日も夜間もない状態です。

Q:ご家族ができたんですね?

 ハワイの店に居た時に、そこで出会った女性と親しくなって結婚しました。元々カナダまでワーキングホリデーで行っていてハワイに立ち寄って知り合ったという女性なので、アメリカに行くのは抵抗がないみたいでしたが、私が子育てに関われないので、異国でワンオペ育児状態でした。
 そうこうしている間に自分も何か仕事がしっくりいかなくなってきました。今考えれば精神的なものと肉体的なものを、無理やり自分の中で合わせていたのかもしれません。当然、奥さんとの関係もギクシャクしてくるようになりました。
 ある時、突然「仕事辞めようかな」と奥さんに言ったんです。「この歳で仕事変わるって何考えてるの?」とか言われると思ったんですが、大賛成でした。
 それで「地元戻って何かやりながら家族と暮らそう」となりました。

お店自慢の味玉とチャーシューがのった「味玉チャーシュー辛味噌」
Q:そこで気がついて良かったですね。

 そうですね。今、考えれば、その時は気持ちの上でもかなりナーバスになっていたかと思います。何が大事なのか?自分はそうやって自分が無くなるまで仕事することが家族のためだと思っていたけど、家族は全然そう思っていなかった。
 今なら笑える話かもしれませんが、あの時に気がついていなければ大事な家族も自分自身も無くしていたかもしれません。
 そこから日本に帰ったんですが、正にコロナの大流行スレスレだったんです。2020年の2月に日本に帰って来たんですが、2ケ月遅れたらすんなりと帰国できなかったかもしれません。
 そして矢祭町に戻って「らーめん屋」をやろうとなりました。開業して1年と4ケ月経ち、売上はまあ「想定内の若干上の方」という感じです。
 最初は奥さんも一緒にこの店で働いていたんですが、今は持っている資格を望まれて近所の会社に働きに行っています。

お店ではお得なキャンペーンも開催
Q:これから、どんな展開をしていきたいですか?

 私が言うのもなんですが、頑張り過ぎない店にしたいです。
 ここに店を出して、ホールはパートさんをお願いしていますが、調理は私がすべてやっています。何かお客さんから訊かれた時に私がチャンと答えられるようにと思っています。
 そのせいかどうか、ここでやるようになって明らかにお客さんから「美味しかったよ」と言ってもらえる回数が増えたと感じています。
 それと私は関係者が皆フラットだと思っています。お店ではお客さんも店主も従業員も。家族の中で私も妻も子供も。お互いがお互いを思いながらお店をやり、生活していきたいと思っています。

Q:最後にこれから起業する人に一言お願いします。

 何かやりたい人が居たら、訊いてください。自分が経験したことは伝えることができると思います。

らーめん 蓮の里

住所:福島県東白川郡矢祭町小田川字春田12-3
定休日:火曜日
営業時間:[平日]11:00~15:00/17:00~20:00
[土日祝]11:00~売り切れ次第終了

蓮の里の外観

取材者の声

  •  店名の由来をお聞きした時に、「息子と娘の名前から一字づつ採りました」と答えた高澤さんの少しはにかんだ様な、幸せそうな表情が心に残りました。
     ビジネスマン時代は御自身の表現を借りれば「馬車馬」のように働いたそうです。「1店舗で1日にらーめん1,200杯出した。睡眠時間は3時間で、点滴打ちながら仕事していた。」とのこと。
     なんとも凄まじいジャパニーズビジネス戦士でしたが、「今はその頃の1ヶ月の売上が1年分の売上かなぁ」と言われる口調には、御自身の納得のいく生き方を見つけた自信が満ちていました。

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