何のために私は事業を始めるのか?最初に決めた核心はブレない
ファームつばさ 代表 清水大翼(だいすけ)さん
鮫川村のとある山道。本当にこの道で良いのか?そもそも、この道って向こうから車が来たらすれ違えない。更には雨まで振り出してきた。果たして取材先へ無事に辿り着けるのか・・・?
前情報のジャージー牛を育てて原乳を出荷すると共に、お洒落なカフェで自ら加工した牛乳やソフトクリームなどを提供している、若きカッコいい起業者。となれば、勝手に広い牧場を想像し「帰りに牛乳でも買っていこうかな」と考えながら、余裕を持って出掛けた私は、途中道に迷い、予定時刻の20分遅れて清水さんにお会いすることとなりました。
Q:早速ですが、なぜこの仕事始めたのですか?
私は1988年生まれの34歳。鮫川村の出身です。元々両親は東京の人間で、鮫川村とは何も関係はありませんでした。その両親が「山村留学」をやりたいとなり、全国の色々な町村に接触したようで、その中でも受け入れの感じがすごく良かった鮫川村に移住し、山村留学をやることになったそうです。
僕が高校生の時に、父親がジャージー牛を飼いだしたんです。特に酪農をやろうかという考えはなくて、普通に犬や猫を飼う感じで。それがたまたま牛だったんです。
そこで、自分は動物が好きだってことに気が付いたんです。将来、動物系のことを学びたい、仕事にしたいと思うようになってのですが、獣医は少しハードルが高くて、北海道の大学の動物応用科学科という学科に入りました。
大学2年の時に「10日間牧場に行くと2単位もらえる」という魅力的なカリキュラムがあり、北海道で酪農をやっている知り合いのおじさんの家に、友達2人と押し掛けたんです。場所は標茶(しべちゃ)という町で、阿寒湖とか摩周湖とか観光地が近く、昼は友達と観光三昧していました。友達は10日間で帰ったんですが、僕だけ1ケ月そこに残ったんです。おじさん達と一緒に朝早く起きて仕事をして、昼飯の旨さと、夜のビールがたまらなかった。「ああ、こんな生活ができたら良いなあ」って思ったら、もうそれしか考えられなくなりました。
Q:それであれば、北海道で酪農をやる道もありましたよね?(道幅も広いでしょ?)
(ここまで来る道にだいぶ参りましたね?(笑))
確かにそうなんですが、その前に、僕は「将来は鮫川村に戻る」って決めていました。両親が鮫川村に移住してきて、この地域の人達にたくさんお世話になりながら生活をしてきたし、僕もこの地域に育ててもらいました。必ずこの地域に戻ってくるというのが、僕の一番のベースにありました。
どう考えても勤め人向きじゃないし(笑)「じゃあ、何をするか?」それを大学4年間で見つける位の気持ちで大学行きました。
Q:大学卒業から起業までは?
大学を卒業してから北海道で2年間、酪農の勉強を実地で積みました。鮫川村の奨学金の返済猶予が2年間だったので、それがタイムリミットでした。
勉強先の候補として、「家族経営の規模」「放牧をしている」「加工品も造っている」ところを探しました。快く「良いよ」と言ってくれる先があったので、そこでお世話になりました。
それが2010年。1年経った3月にあの「東日本大震災」が起こりました。ただテレビで惨状を見ることしかできなかったです。そして原発事故。
もう福島県で酪農やるのは無理なんじゃないかと思いましたね。周りも皆「北海道でやった方が良くない?空いている場所もいっぱいあるよ。」と言ってました。
福島というだけでマイナスイメージが凄くて。あの頃は心の整理ができないでいました。
そこで、原点に立ち戻って考えてみると、「将来は鮫川村に戻る」ってところだったんです。自分が北海道で酪農をやって上手く行ったとして、30年先、40年先、本当に心から良かったと思えるか?それより、まだ20代だし、鮫川村でやってみてダメでもやり直しが利くと考えました。
鮫川村に戻って最初は、山を開拓して放牧地を作りました。3年くらいやったかな。そこから15頭の牛を飼い、子牛が生まれて乳が取れるようになって、翌年の秋から出荷を始めました。
Q:そこからは順風満帆ですか?
そんなことはないです。当時は父が代表をしていたNPOで活動していたんですが、認定農業者にならないと農業系の資金が使えないんですよ。NPOでは活動できないというので、僕個人として新規就農者になりました。
現在は原乳を酪農組合に出荷しています。他の加工品については、チーズを自社で、ソフトクリームミックス、瓶牛乳、発酵バター、棒アイスをOEM(※)で作ってもらって販売しています。白河や三春、いわき、東京の立川のお店などに卸しています。
※他社ブランドの製品を製造すること
Q:これからの夢、野望、願望を教えてください。
鮫川村に戻った以上、この地をより良い場所にしたいです。例えば品物で繋がっている消費者は、それを簡単に他の地域に換えてしまいます。例えば、鮫川村の○○が旨いと言っても、より自分が住んでいる所に近かったり、便利だったりすると、簡単に別の場所にスイッチしてしまう。だから地域としては、「モノ」だけではなく、人や自然等、数多くの次元で繋がって行かなければいけないと思っています。「都会の人間と、田舎の人間がジョイントする場所」を創ること。それがこれからの自分の仕事だと思っています。
Q:最後にこれから起業する人に一言お願いします。
事業を考え出すと、色々なことをやりたくなります。どんどん足し算でやりたいことが増えて行く。そんな時には一番大事な幹の部分が何だったのかを考えてみてください。
それだけは曲げない様に。それが曲がると事業が折れます。
ファームつばさ
住所:福島県東白川郡鮫川村赤坂東野葉貫22-2
TEL:0247-57-5958
問い合わせ:farmtsubasa.dai@gmail.com
取材者の声
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「ポジティブ!」という言葉がピッタリで、決して弱音は吐かなそうな好青年でした。
「自分はあまり営業とか積極的にしていなくて、お客様の方から加工品の相談をいただき、実際に作成、加工品の販売が広がっているんです。」と謙遜しておっしゃっていました。
清水さんの雰囲気やお話は、相手にそう言わせたくなる、相手の心を掴み取るような真剣な思いを感じました。
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